凍みこんにゃくとは

茨城県常陸太田市天下野町(旧、水府村天下野)では昭和の初めには50軒くらいの農家が冬の農閑期を利用して「凍みこんにゃく」を作っていました。しかし戦後、厳冬期の重労働と高齢化で一軒一軒と消えていき,1984年 (昭和59年)には、近くの農家で作るのみ,全国でも一軒になっていました。その一軒の農家も高齢で来年は作らないと聞きました。そこで「幼いころのからのご馳走をなくしちゃならん」と父が50代から凍みこんにゃく作りに手を染めました。本業の「蒟蒻」製造の技術を生かして「凍みこんにゃく」作りを開始しました。しかし数年間は失敗の連続の繰り返しで、「失敗」を先生として励んでまいりました。その時点、1985年にはこの地域で一軒になってしまいました。
寛政7年(1795年)木村謙次(1752-1811)により丹波の国(兵庫・京都)より天下野町に伝えられた伝統の食文化を絶やさないためにがんばっています。

2021年11月に念願の「凍みこんにゃく」の当地の原点の丹波国・播磨に調査に行ってきました。丹波国のどこの地域からか?後日、調査を整理してお伝えします。

手間暇かけてできた食材に手間をかけて、愛情の一味を加えて美味しい料理を作ること、これこそ究極の贅沢であるとのメールをいただきました

今期は12月15日より凍みこんにゃくの製造を開始します。12月23日から田んぼにこんにゃくを並べ始めました。
2021年は1月5日より再開し、中旬には田んぼ一面に並び、田んぼ一面が真っ白になります。
2-3日は雨で作業が中止になりましたが、1月23日には今期の凍みこんにゃくの取り込みが終わりました。
2月13日に今期の凍みこんにゃく製造は終了しました。
3月1日には藁(わら)の片付けをしました。藁をまとめるのにビニールの紐を使わず、藤の皮を使います。
昔の方法ですが、今風に言えば環境に優しい方法です。

 

凍みこんにゃくの厳冬期の風景

凍みこんにゃくが風で飛ぶ

凍みこんにゃくが出来上がると風で飛びます。取り入れのサインです。

凍みこんにゃくを一枚、一枚裏返し

凍みこんにゃくを一枚一枚裏返します。

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